お坊さんはなぜ坊主頭なのか?

仏教
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お坊さんは頭を丸めていますが。なぜなのでしょう?
実はこれも精神を作り上げる修行なのです。
少し掘り下げてみましょう。

坊主頭の謎

私の宗教は修験道なのでお坊さんでもあり普通の俗人でもあります。
修験道は坊主頭にしなくても良く、有髪でもOKなのですが、この世界に入る時に頭を丸めました。
やるからには形から、これも案外大切なことと思い以降坊主頭です。
私は、もともとガラが悪いので坊主頭ですとその筋の人と見えるのか駅前の交番の前を通ると、おまわりさんによく職務質問されます(笑)
案外これもなぜ坊主頭なのかと言う疑問の答えに近づくヒントかもしれません。

お坊さんの髪型の正式名称は剃髪

お坊さんが頭を丸める、正しくは剃髪(ていはつ)と言います。
髪を剃ることは煩悩を摘み取ると言われます。
特に愛欲を離れ修行に邁進する為必要なこととされます。
仏教で言う愛欲とは性的な欲、そこから離れる為に坊主頭、職業や社会的階級で髪型が変わる時代であれば恋をしてはいけない人と言うシグナルとしての坊主頭も頷けます。
冷静に考えてみますと髪型をセットする目的は異性に好かれたいため、これも目的の場合があります。
しかししかし、現代では髪型は自由な時代、前述のようにその筋の輩も坊主頭が多いです。
現代でも剃髪か有髪かは修行に影響があるのでしょうか?
もう少し掘り下げてみましょう。

髪に対する執着

今の時代は髪型も多様、男でも長髪は普通、カラーを入れてもあまり珍しくありません。
そして髪がない男性は我が国の場合、ややもすれば嘲笑の対象「このハゲ!」と罵る人がいますね。
髪は大切なもので執着してしまうのも無理はありません。
執着とはそれこそ仏教で言う煩悩、ここに答えがあります。

ハゲと坊主は違います!

私の法類(ほうるい)の話です。
※法類とはお坊さん友達と言う意味です。
彼はいわゆる若ハゲだったそうです。
お坊さんになる前の話ですが、二十代でハゲてきて二十代後半戦にはいわゆるバーコードハゲ
毎朝サイドから上に持ち上げ、そして整髪料で固める作業を欠かさずの日課だったそうです。
ハゲということが恥ずかしい、自身を呪うように悩む毎日、しかしある日一念発起してすべて剃ったそうです。
翌朝の通勤電車、なんだか清々しい気持ちだったそうです。
JKからの視線も全く気にならない!と思ったかどうかは話していませんでしたが、今まで気にしていたことがバカバカしく思ったそうです。
以降ハゲではなく、坊主頭だそうです。

他人の視線を気にするのも煩悩

仏道の目的の一つは自分の幸せの追求です。
前項のハゲを気にしてバーコードの話は他人からハゲと笑われないように必死ということ。
他人からどう見られたいと思うことは良くも悪くも他人の期待に答えようと言うことです。
自分の幸せのための行動ではありません。
また愛欲を摘むと言う剃髪の意味も一緒で、異性から良く見られたいと思うのが髪型を整える目的。
そういう意味ではコワモテに見せようと思い坊主頭にするのも同じです。
要するに他人からこういう人物と思われる為に髪型を整えるということです。
しかしそれが問題、つまり煩悩です。
自分の髪型を自分で好きに整えていると思っていても、実は他人の干渉があるということなのです。
髪を赤く染めようと、長くしようと、短くしようと、他人からどう見られたいがある以上自分の自由意志ではないのです。
髪型を気にせず、着飾ることを止めて、肩書すらもすべて無くし、他人からの干渉をことごとく駆逐した時、そこにいるのが本当の自分ではないでしょうか?
仏教の追求する幸福とはそういったものなのです。
そのはじめの一歩が剃髪の丸坊主というわけです。

最後に一言

法類はもともとハゲ、私は遺伝的なものかハゲない・・・。
バリカンで剃るのも面倒くさいので彼がうらやましいです。
自分が持っていないものはうらやましいものですね。
しかしご本人は悩みに悩んだ、人の幸せは難しい(´・ω・`)

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