マウントを取るあなた、煩悩がフル回転してますよ

仏教
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マウントを取ると最近良く聞く言葉です。
私は犬を飼っているのですが他の犬と遊ばせると上に乗っかってどっちが上だと上下関係をはっきりさせるためにマウンティング行動を取りますね。
人の世界でもこっちが上だと誇示する言動をマウントを取ると言うようです。
動物的でもあるこの行為、仏教でも基本的な煩悩として説かれています。

マウントを取る人々

相手より自分の方が優れていると自己を誇示して相手を見下す言動をマウントを取ると昨今は言うようです。
身近な人間関係の中にもマウントを取る方がいらっしゃるかと思います。
私の方が良い物を持っている、私の方が良い食べ物を食べているなど私はあなたより優れているとの言動を取り、上下関係でしか人間関係を見られない困った人たちです。

仏教でも説かれているマウント

仏教では悩みの原因である思考を煩悩と呼びます。
108つあるとも言われるのはもしかしたらご存知かと思いますが、その煩悩の根本的なものは6つ、六根本煩悩と言いますがその中の一つに「慢」(まん)があります。
傲慢、慢心など一般の言葉にもなっていますがもともとは仏教用語、煩悩の一つです。
一般的には驕り高ぶると訳されますが仏教での意味では、自分よりも劣っている人を見て自分のほうが優れていると自惚れる姿とされています。
まさにマウントの心理ではないでしょうか。
ちなみに我慢とは一般では耐え忍ぶことと肯定的な意味合いになりますが、仏教での我慢は別な意味です。
次の項で触れますので煩悩としての意味を学んでみて下さい。

七つある慢

慢にも種類がありそれは7つあると説いています。
それを七慢(しちまん)と呼びそれぞれは以下の通りです。

1つ目は『慢』(まん)
自分よりも劣っている人に対して自分は優れている自負心を抱き、そして自分と同等の人に対しては同等だと心を高ぶらせる
2つ目は『過慢』(かまん)
自分と同等の人に対して自分の方が優れていると思い高ぶり、そして自分よりも優れている人に対しては自分と同等だと侮る
3つ目は『慢過慢』(まんかまん)
自分よりも優れている人に対して自分の方が優れているとうぬぼれて、相手を見下す
4つ目は『我慢』(がまん)
自分に執着しておごり高ぶる、自負心が強くおごり高ぶること
5つ目は『増上慢』(ぞうじょうまん)
悟ってもいないのに悟ったと思い込む
6つ目は『卑慢』(ひまん)
自分よりもはるかに優れた人を見て自分は少ししか劣っていないと思う
7つ目は『邪慢』(じゃまん)
徳がないのにも関わらず徳が高いと思う

7つの慢、まさにマウントを取る人そのものです。

慢は他人と比べる

このように他人と比べて自分が優れていると思う事が慢となります。
そして他人と比べてしか自分を見ていないとも言えます。
自分の幸せは他人を見てもわかりません。
自分が何か好きなのか、何をしたら心地よいのか、何が得意なのか、自分に目を向けるべきです。
しかしマウントを取る人は常に自分では無く他人が何を持っているのか何をしたのかが気になり、そして自分と他人との優劣のみに捕われてしまっています。
裏を返せば不幸だと思いこんでいるとも取れます。
例えばSNSで他人が高そうな物を食べているのを見て、自分はそれを食べたことがない、私は不幸せなんだと思い込んでいるのです。
ちなみに私は納豆が大好き!
SNSでフォローしている会ったこともない人が神戸牛の高級ステーキの写真をUPしていても全く気になりません。納豆があれば満足です。

マウントを取る人の自己肯定感の低さは深刻です。

自分自身が他人よりも劣っている事が許せず、そしてそれから目をそらすためにマウントするのであれば自己肯定感が低いと言えましょう。
本来、人はそれぞれに個性があり、それは2つと無いもの、劣っているとか優れているではありません。
それぞれが得意なものがあってそれを持ち寄って社会は成り立っていますから、自分自身が社会に持ち寄れる何かは他の人は持っていないものなのです。
よって他人と比べる必要は無く、優劣を競う事自体必要ないことなのです。
自分しか持っていないものに気がついた時に自己肯定感は高まりますから他人と比べることを止め、自分自身の個性見つめ、自分自身の幸せを考える時間を持って下さい。

最後に一言

冷静に考えれば自分自身の幸せは他人とは関係のないことです。
自身の幸せに目を向ける事が最重要!
他人が何を持っているかなど考える暇はありませんね!

そう言えばマウントについて面白いYou Tubeのアニメがありますので御覧ください。
モモウメ、面白いですよ(^^)

給湯室がマウントの取り合いで凄いことになっていた件w<モモウメ公式「OL篇」>

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